なんかまた本井さんが興味深い記事を書いてましたねー。

細胞記憶(中)

アダムとエヴァの犯した最初の罪、神から離反した罪が原罪というわけなのですが、
これはキリスト教徒にとってはなじみ深いかと思います。

エデンの園で邪(よこしま)な蛇(ルシフェル=悪魔と伝統的には解釈されている)が、
エヴァを誘惑し、神から禁じられていた木である「善悪を知る木」の実を食べてしまいました。

もういっぽうでエデンの園には「命の木」もありました。

実は以下に神の言った言葉から興味深いことがわかるんですが、それを説明しておきましょうか。

以降引用するのはフランシスコ会聖書研究所の聖書からになります。

「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし、善悪を知る木の実は食べてはならない。
それを食べると、必ず死ぬ」(創世記2・16、17)

「見よ、人は善悪を知り、われわれのひとりのようになった。今や、人は命の木の実をも食べ、
永遠に生きるであろうから、彼が手を伸ばしてこれを取らないようにー」(創世記3・22)


これからわかるのは原罪を犯す前の段階では「命の木」の実は食べてよいものだったんです。

しかし原罪を犯した後では食べてはならないものになった、と読み取れるんですね。

まとめてみますと、

●(1)アダムとエヴァは原罪を犯す前、「命の木」の実はまだ食べていなかった。
つまり永遠に生きられる状態ではなかった。ということはこの時点では、
その木の実を食べて永遠に生きられる状態になっても良いと神は判断していた。

●(2)原罪を犯したあと、つまり「善悪を知る木」の実を食べたあとでは「命の木」の実は
食べてはならないと神は判断した。

では考察していきましょう。

善悪を知らない状態というのはどういう感じなんでしょうか?

いいことも悪いことも知らない、言い換えれば無知、純真無垢、まるで赤子のようです。

赤子のように純真無垢で無知だったら永遠の命を得ても大丈夫だと神が判断していたとしたら、
それはなぜでしょうか?

んーなんか、何も知らない赤子のような状態であることの方が、
よっぽど危なっかしいような気がしないでもないんですけども・・。

ん、待て待て。
例え危なっかしくても永遠の命があるから死ぬような危険な目にあっても大丈夫なのか(笑)

あと結果的に善悪を知ることになった彼ら二人には「命の木」の実を食べ永遠に生きるのは良くないと判断したのはなぜなんでしょうか?

あら?その前に神自身はどうなんでしょうか?

神は善悪を知っている存在でしょうし、永遠に生きる存在でもあるのでしょう。

神自身は「善悪を知る木」と「命の木」の実の両方を食べても問題ない存在だということになるのでしょうかね。

それはいいとして、またなぜ人間だけは善悪を知るのが良くなかったのか?ですが、
これは思うに神々と同様な存在になっては困ると考えたからではないのか?

「いや、あなた方は死にはしない。それを食べると、あなた方の目が開かれて善悪を知り、
神のようになることを、神は知っているのだ」(創世記3・4、5)


とあるからです。

つまり神は人間が神のようになることを拒んでいたということがわかるのです。

これは要するに善悪を知るというのは、神のように知識を得て賢くなる、
ということだと思うのです。言ってみればこれは「知恵の木」とも言い換えられます。

人間に賢くなられては困る、われわれ神々のように知識を得れば、
未熟さゆえ不幸にもなりかねない・・と思っていたのかもしれませんし。

そんな神々にも過去の苦い経験があって、用心していたのかもしれません。

あと善悪の一方だけを知ることはできず、おのずと両方を知るはめになるから、
片一方の善あるいは悪のみを知ることは本質的には無理なのかもね〜

と、ころりぃめは思いましたんです。

なんかよく映画なんかでありがちな設定かもしれないけど、

“人類を創造した存在である神が、その彼らが自分たちと同じような存在
(過去の失敗を犯すといった)になってしまうのは困る”
 と。

あくまでも創造物として、神の管理下に置けるような、要は神の手に余る存在にならないように
制限をかけているのだと。

まぁありえるかも?

しかし、それにしても原罪を犯す前の時点で「命の木」を食べても良いと神が考えていた
というのも、なんとなく違和感がありますね。

もし仮にすでに「命の木」の実を彼らが食べていたとしたらどうなっていたんでしょうかね?

永遠に生きられる存在になっていたら、「善悪を知る木」を食べてしまう可能性が、
そのあとも当然あるのだし、だって「蛇」がいくらでも誘惑する機会はあるわけで・・。

そうなると神々もお手上げ、神々と同等な存在になってしまうリスクは当然あるわけです。

もし神々が望んでいないのなら、初めからそういうのを園に置くなや!
と、ころりぃめは思うのですけどね〜。

それってもしかして二人は試されたのかな〜?


・・いや、その前に考えるべきは、

なぜ蛇が最初に「善悪を知る木」の実を食べるのをすすめたのかですよね?
まぁでもその木の実だけが食べるのを禁じられていたわけですから、
それをなんとか食べさせようと思ったんでしょうけど。

もし「命の木」の実を先に食べるように「蛇」がすすめていたなら??

おそらく、「蛇」はそれを望んでいなかったのではないでしょうか?

あえて「善悪を知る木」を先に食べさせたのには、何か理由があるんじゃないか?
きっと都合が悪かったのではないかなぁ〜とも思ったり。

ということで・・

「蛇」さんはこう考えてました、と想像してみるっ。

「もし命の木の実を食べてしまった後で善悪を知る木の実を食べたら、神々と同等な存在になるし、
それではつまらないし、面白くない。まったく興冷めだ。それならば先に善悪を知る木の実を
食べさせて、神の怒りを買えばあいつらに命の木の実を食べさせないようにするはずだから、
そうしたら俺様のうっぷんも晴れるし、神々にしてやったりぃ〜!ざまぁみろというものだ。
けっけっけ〜♪」

(´艸`*)

ふーん、そうか。

「善悪を知る木」とはやはり神々の持つ知識のことなのでしょうかね?
もう一方の「命の木」とは知識ではなく手段の方、生きる直接的な手段、
生きながらえるための食料を意味すると考えればどうなのかな・・

「命の木」とは永遠に生きることのできる方法、なんらかの手段・・?

うーん・・なんだか、考えるのだんだん疲れてきた(笑)

えーと迷宮に迷い込みそうなので、脳内をいったん白紙に戻してっ、と。

さてもう一度、聖書の記述を見てみましょうか。

「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし、善悪を知る木の実は食べてはならない。
それを食べると、必ず死ぬ」(創世記2・16、17)

「見よ、人は善悪を知り、われわれのひとりのようになった。今や、人は命の木の実をも食べ、
永遠に生きるであろうから、彼が手を伸ばしてこれを取らないようにー」(創世記3・22)


このように「善悪を知る木」の実を食べると必ず死ぬとあるので、

先に「命の木」の実を食べてしまうと永遠に生きることが可能であるから、
あとで「善悪を知る木」の実を食べても、死ぬことはないはずので、神からすれば厄介な問題を
抱えることになると。

逆に「善悪を知る木」の実を先に食べていた場合、「命の木」の実を食べることを阻止すれば、
彼らは永遠の命を得ることなく、必ず死ぬから、特に問題にならないと判断したと。

何が問題にならないかって、

神にとって都合の悪い事態にはならないからってことじゃないのかな、やっぱり。

んーんん、

というかですね、やっぱ最初からエデンの園にその食べてはいけない「善悪を知る木」
を置いておくほうがおかしいんですけどね。

神様っていったい何考えてんの?

食べちゃいけないものをあえて置くなどと、普通に考えて何か変でしょーに。

いや待てよ、置いていたのは神々が必要としていたからではないのかね?!

それならばわかりますよねー。

なるほどそうかっ!

ということは神々は何も最初から全知の存在ではなく、知識の源泉である何かが必要だったのかと。

それがここでいう「善悪を知る木」だったのか。

そしてその実を食べると知識が得られる・・。

おーこれはこの記述は、そのまま受け取るのでなくて、何かの象徴を表しているような気が
してきましたよ。

現代に例えるなら、「善悪を知る木」はすべての情報を得られてしまう、
まるでコンピュータのようです。

そして、その木の実はインターネットで得られる情報だと置き換えられましょう?

パソコンを使ってインターネットの情報を得れば、当然いろんなことを見聞きするので、
賢くなりますよね?

神々はこのように思っていたんじゃないかと推測してみるっ。

「お前たち人間には不要な知識だ。好奇心を満たそうとして余計な知識を得れば、
自滅すらしかねない。ま、実際に禁断の実を食べてしまった(情報を得て学んだ)わけだし、
もう死への扉は開かれてしまった・・。」

と、ここまでは象徴的なこととして解釈してみたけど、

本当のところはこれら聖書の記述が何か事実をズバリ言っているとしたら、
ていう考えが捨てきれないので、もう少し考えてみますね。

「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし、善悪を知る木の実は食べてはならない。
それを食べると、必ず死ぬ」(創世記2・16、17)


食べたら必ず死ぬ・・。

これは遺伝子的な細胞レベルでの話になりそうな気がしますねー。

細胞が老化することによって人間は死にますよね?

「善悪を知る木」の実を食べるという行為が死に直結するということは、

それを食べる、体に吸収するということで、肉体的に何らかの変化が起こるということでは
ないのかと。

遺伝子の変異・・。

遺伝子が変異する原因は?

例えば放射線被爆とか。この被爆によって遺伝子が傷付き、じょじょに細胞が劣化、
そして次第に活力を失い、死に至るとか。

うーん。

でもなんで「善悪を知る木」なんてのが死へと直結するのかな?

それなら「死の木」とか直接的な表現の方が分かりやすくないですかね?

善悪を知ると必ず死ぬとか、意味わからないですよね?

うん、直接的な表現と受け取るのは何かが変です、ちょー変です。

ということはやはり何か象徴的意味合いをどうも含んでいるんじゃないかな〜?

という考えに行きつきそうです・・。

ありゃりゃ、なんか細胞記憶へと話がまだ繋がらない?

実は実は、細胞記憶というのは次のこの記述と関連があるのでは?と思っちゃったりしてるんですけどね、

「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし、善悪を知る木の実は食べてはならない。
それを食べると、必ず死ぬ」(創世記2・16、17)


必ず死ぬという細胞記憶が遺伝的に刷り込まれた可能性が・・。
同時に善悪の知識も刷り込まれ遺伝しているというね・・
あれ?神の知識も遺伝しているっていう意味も含んでいる?!
その神の知識とは遺伝子情報ってことだよね?!


じゃあやっぱり象徴的表現ではなく直接的な表現と解釈できるってこと??

いったいどっちやねん・・。

こんな感じで最後に自滅しちゃうってどうよ(笑)

でも、今回の収穫は

「神の知識とは遺伝子情報」

っていう部分だと思うね。

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